クレタ人の踵

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2本足で歩こう[3]

2本足で歩こう[3]
理由なき(二足)歩行


関連
2本足で歩こう[1]
2本足で歩こう[2]

 人間の二足歩行とロボットの二足歩行は異なる制御方式を取っている。もともと持っているリソースが違うのだから当たり前である。人間は人間が歩きやすいように、ロボットは、なるべく見た目がよくてトータルコストが低くなるように歩く。
 これまた当たり前のことで恐縮だが、ロボットは、人間と違って、自分が歩きやすいように歩いているわけではない。そもそも、ロボットには2本足で歩かなければならない理由がない。

人間が二足歩行する理由

 人間の二足歩行は人間の進化の過程で重要な位置を占めている(と一般に考えられている)。手(前足)が自由に使えるようになったというのはやはり大きいし、直立したことにより首から肩の筋肉に対する負担が減り、頭部を重くすることができるようになった。生物学的に見て、知能を高めるには直立歩行することがかなり重要な案件であったのは確かである。
 陸上生活を営む以上、人間としては現在の知能レベル獲得のために二足歩行は必要であった(と思われる)。逆に言うと、知能が発達した現在の人間は、二足歩行しなければならない理由はなくなっている。一例をあげると、現代の日本は車社会であって、移動距離で考えれば、ほとんどの日本人は二足歩行よりも四輪(ないしは二輪)走行のほうがメインの移動形式となっている。人間ですらそうなのだから、ロボットが「絶対に」二足歩行「しなけらばならない」理由を考えるのはかなり無理がある。

山に登るのはそこに山があるから

 現時点で、ロボットの二足歩行は、「技術的に困難だから」という理由と「なんとなくカッコいい」という理由以外に推進動機が無い。しかもこれは人間側の都合であって、ロボット側にいたっては、二足で歩けることによるメリットのようなものはまったくない。
 もちろん、動機としてはこの2つで十分すぎるほど十分、という意見もあって、FMもどちらかと言えばそちらの肩を持ちたい派である。面白ければいいじゃん、というわけなのだ。
まぁ、異論のある方もあるだろうし、受けて立ってもいいわけだが、最初から勝敗の決まっている試合をするのも馬鹿馬鹿しいし、手を抜いて相手を勝たせてやるというのもFM的には「なんだかなぁ」であるので、たぶんこの件で喧嘩を売られても買わないと思う。(始める前から一方的な勝利宣言モードである。夏なのでFMも厨なのだ)。

理由が無いのと欲しいのとは話が別

 じゃあ、「FMとして」二足歩行ロボットにまったく興味がないのかと言えば、そんなことはない。
 興味ありまくりである。
 もともとFMの感心はロボットというよりはAIにある。ロボットのボディはAIのフィジカルターミナルとして必要なのである(FM的には)。諸般の事情で、FMはロボットのハードそのものを造る気がない。ソフトウェア一本で行きたいと思っている(理由については気が向いたら述べる)。
 AI用のフィジカルターミナルとして見た場合、ファンクションとして二足歩行できるかどうかは、実は極めて重要な問題である。二足歩行というのは人間にとってもかなり敷居の高い技能であって、習得するまでに最低でも4~5年かかる難易度Aのスキルなのである。
 こういった難易度が高いのにお手本がそこらへんにゴロゴロしているスキルというのは実は意外に少ない。
 そんなわけで、今後、FMがAIを実装する場合に、二足歩行というのはAIに学ばせたい項目のかなり上位ランクにあるのだ。しかし、いくら学ばせたいと思っても、そもそも物理的に二足歩行出来ないようなボディに対してはソフトウェアだけでどうこうできるシロモノでは絶対にない。
 二足歩行自体はロボットにとってあまり意味のあるものではないのだが、その獲得の過程における情報と物理パラメータの関連付けの一般化を通してAIに賢くなってもらう(もしくは賢くなるAIを造る)というのがFMのやりたいことだ。
 だからFMとしては、早く二足歩行ロボットが売り出されないかなぁ、と夢見ているわけである。

まとめ
 ロボットにはそもそも二足歩行しなければならない理由はない
 人間も最近は歩かなければいけない理由はなくなった
 FMは夢見がちな中年
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ロボットの安全基準[2]

ロボットの安全基準[2]
できればナアナアですましてほしい


関連
ロボットの安全基準[1]

 イヤな話題というのは筆が重くなるものだ。
 ただでさえ更新の遅いこのブログだが、安全基準などというFM的にもっとも苦手な話題を持ってきてしまったため、ひどい有様になっている。
 イヤならやめてしまえば良い、まったくその通りだが、イヤイヤながらも取り上げるのには理由がある。
 FMは、諸般の事情で、高性能なロボットが欲しいと思っている。ここいらへんの個人的な事情については、おいおいこのブログで明らかにしていくとして(迷惑だとか言う外野の声はもちろん気にしない)、とにかく高性能なロボットが欲しいのである。
 金額の多少はこのさい目をつぶる(つぶっていいものかどうかは不明だが)として、高性能なロボットが欲しい、というのが現在のFMの希望である。そして、残念ながら、安全基準というのは「高性能、高機能」という目標と相反する可能性がある。

危険なのはそばに人間がいるから

 前回、ロボットの機能が人間のように高度になると危険になる、と書いたが、あまり細かい話はしなかった。危険というよりは、安全を確保する方法がない、というだけなのだが、もう少しだけ噛み砕いて説明しよう。
 ロボットを使って人間の仕事を代替しようとする場合、どうしても不測の事態への対処が必要となってくる。産業用ロボットの場合にこの問題が生じないのは、作業が定型できちんと決まっているというのも理由の一つだが、もう一点、産業用ロボットが基本的に作業中に移動しない、ということも重要である。
 安全確保は産業用ロボットの稼動範囲内から他のものを排除することでいちおう達成できる。もう少しはっきりいうと産業用ロボットは稼動範囲に人間を入れないことで安全確保をしている。勝手に稼動範囲に入ってきた人間が悪い、などと言っていては、あとでどんな文句を言われるかわからないから、産業用ロボットは人間が稼動範囲に入ると機能停止するようになっている。
 生活分野で使うロボットでは、残念ながら、これができない。人間が近づくと機能を停止する掃除ロボットというのは、まあ、効率は悪そうだがなんとか我慢できる。掃除は留守の間にやってもらうというのも良いだろう。しかし、侵入者がロボットに近づいた時点で機能停止するのでは警備ロボットにならない。介護ロボットが人間にさわらずに、どうやって人間を介護するのかFMには想像もつかない。

人間とロボットのコラボレーションで危険は回避できるか?

 稼動範囲内に人間がいる場合にどうやって安全確保をするかという問題については、ケースバイケース、個々の状況に応じての対応ということになるのだが、この場合、すべての状況に対応できるようにロボットを制御するのは原理的に不可能である。人間の行動を論理的に完全予測する方法がないからだ。予測が不完全である場合、対応も当然、不適当なものになり、安全確保は困難となる。
 では、ロボット側で完全対応するのは無理として、人間側が協力するというのはどうだろう? ロボットがいつも同じ単機能行動をする場合には、ある程度可能だ。人間がロボットに協力して安全確保する、というのは、現在の工業製品の安全基準からすると、かなり不満足なものだが、原理的に不可能なものを無理強いするよりはマシだろう。たとえば、掃除ロボットが真っ直ぐ突進してくるような場合に、少し慣れれば避けるのは簡単なことだ。あまり高速で移動されるとやっかいだから、移動速度に制限を設けるというのも必要だろう。
 このような形で、人間側の対応とロボットの機能制限で危険を回避していけば、それは新しいロボットの安全基準になるのではないだろうか?

高機能なロボットの行動を予測することは困難である

 ところで、真っ直ぐにしか移動しない掃除ロボットというのはどれくらい役に立つのだろうか? FMの家はせまいので、ごちゃごちゃとモノが置いてあって、居住スペースの直線部分というのは、ほとんどない。 やはり掃除ロボットを買うのなら、障害物を巧みに避けて移動しながら掃除するようなロボットが欲しいと思う。
 しかし、危険回避という観点からは、このような複雑な動きをするロボットを避けるのは、逆にたいへん難しい。掃除中はじっとしていて、ロボットに避けてもらうか、やはり人間がいないときに掃除してもらうのが一番だろう。
 ロボットが状況に応じて行動を変化させるようになると、人間側で対応するのにも限界が出てくる。
 正面からやってくる人を避けようとして歩く向きを変えたところ、相手も回避行動に入って、かえって両者の位置が近くなって困ってしまう。なまじ両者が気を使った結果、見合いの状態になって身動きが取れなくなるのはよくあることだ。
 ロボットが高機能になって色々な状況に対応するようになった場合、人間の行動を予測するのが困難なのと同じ理由で、ロボットの行動を予測するのも難しくなってくる。この段階で人間側の危険回避に対する負担が大きくなりすぎて、安全確保は困難となる。

コラボレーションには相応のコミュニケーション能力が必要

 このような状況が発生するのは、コラボレーションを行う人間とロボットの間で円滑なコミュニケーションを成立させるのが、現時点で、非常に困難なことに起因している。互いに相手の行動を予測するのでなくて、「一声かければ」これらの問題はかなりの部分が解決する。予測するからはずれるのであって、これから「○○しますよ」と互いに予告しあえば問題はない。
 そんなことができればの話だが。
 人間はともかく、ロボット(もしくはコンピュータ)のコミュニケーション能力は(現段階では)極めて低い。危険回避にこの不完全なコミュニケーションを使うというのはあまりにも無謀である。
 結局、現時点で可能な安全確保の方法は、

  1. ロボットの行動が人間に予測しやすいように機能限定して、なおかつ、人間がロボットの行動を予測しつつ安全確保する
  2. ロボットの稼動範囲に人間が立ち入らない、もしくは、人間が稼動範囲に来たら機能停止する

ぐらいしかない。

FMは安全なロボットがほしいわけではない
 
 で、まあ、行動が常に予測可能だったり、あるいは、近くに寄ると止まってしまうロボットが欲しいのか、と聞かれれば、FMとしては「いらない」と答えるしかないわけで..........
 もしかすると、そういうロボットこそが本当に役に立って、確実に需要が見込めるのかもしれないのだが、少なくともFMは、そういう安全基準みたいなもので機能制限されたロボットが欲しいわけではない。
 FMとしては、「安全」でなければ売れない、というのがいまひとつ理解できないので、できればこの件はダラダラなし崩しで進めてもらい、既成事実としてロボットがそこらへんにゴロゴロしだしてから安全について考える、ぐらいで何とかならないものかと考えているのである。まだ、さほど高機能とは言えない状態のロボットを安全にするために、わざわざ機能制限するというのは、やはりFMとしてはしのびない。

 あまり大声で言う気はないし、言ったとしたら、どうせ誰かに怒られるだけなので、こんなところで愚痴っているだけなのだが。

 まあ、そんな訳で、FMとしては、あまり「安全」の話はしたくなかったのである。

まとめ
 高機能なロボットの行動を予測するのは人間の行動を予測するのと同じくらい難しい
 多少危険でもかっこいいロボットが欲しい
 ブログで小声で愚痴る、というのはどんな状態なのか少し気になる

ロボットの安全基準[1]

ロボットの安全基準[1]
安全でないものには安全基準が必要である


 少し、ロボットの安全基準について考えてみたい。
 今年の1月に経済産業省から「介護や警備、掃除など生活分野で使うロボットの安全基準をつくる」というアナウンスがあった。またNEDOからも「愛・地球博」用に「ロボットの安全性に関する考え方」というプレスリリースがあった。http://www.jara.jp/pressrelease/pressrelease/050131.html
 1月の話を今頃持ってくるあたり、このブログが時流に疎いことの証左なわけだが、そういうことはあまり気にしないことにする。
 FM的にはロボットの安全性についてはあまり気にしていない。というか、ロボットなどというものは、どうあがいても原理的に「危険」なのであって、「安全なロボット」というのは「原子力の平和利用」みたいなものと同じだと思っている。
 いきなりネガティブな発言で申し訳ないが、これもこのブログの趣旨だからしようがない。
 で、まあ、ロボットの安全基準なわけだ。

新しい安全基準が必要な理由

 上記のNEDOのリンクなどを読んでもらえば、安全基準に関する考え方はかなり苦しいのがよくわかる。
 ロボットが「原理的に危険」だというFMの意見はかなり過激な部類に入るにしても、ロボットを安全に運用するのはかなり難しいと、実際の開発者が認めている。
 この手の話はいろんな状況についての内容を盛り込んであったりするので、話がわかりにくい。少し、話を分かりやすくするために、状況を単純化してみよう。
 簡単な例ということで、機能を限定して、掃除ロボットと掃除機について考えてみる。となると問題は、ロボットの安全基準から、掃除ロボットの安全基準に矮小化される。ここまで話が具体的になると単純な疑問がわいてくる。掃除機はすでにあるのだし、掃除機の安全基準もすでにある。どうして、掃除ロボットは掃除機の安全基準に従うということにしないのであろうか?

責任を誰かに押し付けたい

 掃除ロボットを掃除機の安全基準に従わせるということになると、ちょっと困ったことが起きる。困るのはユーザーではない。メーカー側である。
 これは、掃除機と掃除ロボットの違いを考えればよくわかる。
 掃除機は単体では掃除をしない。常に人間とペアで掃除をする。掃除機は機械ではあるが道具の範疇を出ることがなく、いわばホウキの代用品のようなものである。実際の掃除は人間がする。
 掃除ロボットの主眼は人間なしで掃除することである。「人間なしで」ということはロボットが人間の作業を代替することに他ならない。
 掃除というのは単調な作業に思えるかもしれないが、実は比較的インテリジェンスな作業である。部屋の中にあるものの位置は常に変わっているし、ゴミとそうでないものを見分けるのは、それなりに難しい。限定品のフィギュアなど当人にとっては宝物でも、他の家族にとってはゴミ以下であったりする。これは極端な例にしても、掃除というのは一種の価値観を持って行うものであって、単純作業などでは決してない。
 掃除するだけでも大変なのに、「安全」にも注意を払わなければならないとなったら、もう、本来ならほとんどお手上げなのである。いや、工業製品としては立場が逆だ。「安全」に十分な注意を払った上で、掃除をしろということなのである。
 掃除機の場合、掃除をする行為そのもの安全については、掃除をする人間にほとんど押し付けられた。ロボットの場合には、そうはいかない。そこで新たな安全基準が必要になる。

ロボットが安全でありえないのは人間の仕事を肩代わりするから

 ロボットの利用を考えるにあたり、極めて特殊な事例を除いて、ロボットが必要とされるのは人間の行為の代替である場合がほとんどである。のっけの経済産業省の「介護や警備、掃除など」という分類がすべてを物語っている。介護も警備も掃除も、現在は人間が行っている仕事である。
 意外なことだが、ロボットが高機能になり、人間の仕事の代替が可能になるほど高性能になった場合に、安全性の問題がより深刻になる。機能が低く、役に立たない、エンターテインメントロボットの安全性に対する問題はあまりなく、だからこそAIBOは販売できたという側面もある。
 生活分野で役に立つロボットはエンターテインメントロボットよりも高機能である。それらは人間を代替することを目標としているからである。しかし、機能的に人間に近いロボットというものは安全性でシビアな状況に突入する。
 機能的に人間に近くなるほど、ロボットの安全性も人間に近づく。
 FMの知る限り、この世でもっとも危険なものは人間である。したがって、人間の仕事を代替するロボットはある意味、危険にならざるを得ない。

本当に安全かどうかはモノを売る場合の必要条件ではない
 
 ロボットがあまり安全でないとして、そんなものを販売しても良いのだろうか?
 これに対しての答えはYESである。
 銃は危険だがアメリカでは市販されている。戦闘機も戦車も危険だが値段がついて売買されている。自動車も安全基準はあるけれども、交通事故で日本だけでも毎年1万人近く死んでいる。通り魔事件に使われたからと言って、包丁の販売を禁止せよという議論はあまり沸き起こらない。
 ようはメリットとデメリットの関係であって、多少危険でも様々な理由で利用されているものは多い。毒も少量飲めば薬であって、安全性は機能とのバランスで語られるべきものである。
 ただ、残念ながら(産業用を除き)ロボットはまだこのレベルに達していない。ロボットは具体的にたいした役にたっていない。役立たない上に危険であるようなものは市場で評価される余地が無いのである。
 そこで、最低でもロボットを「安全」にしようというわけだが、これには大きくわけて二つの方法がある。
 ひとつは機能を制限すること、もうひとつは安全に対する我々の考え方を変えることである。
(つづく)

まとめ
 とりあえず、今年の話題であるからギリギリセーフかと思う。
 掃除はたいへんである。
 人間は危険。
 ロボットを安全にするには二つの方法がある。

2本足で歩こう[2]

2本足で歩こう[2]
フィードバックしないで歩行する


関連 2本足で歩こう[1]

 FMの家はかなりの田舎にある。最寄り駅に最近やっとエスカレーターがついたくらいだ。FMはじじいで運動がキライなので、階段でなく、当然、エスカレーターを利用している。
 このエスカレーター、もちろん省エネ型である。人が乗っていないときは止まっているヤツで、誰かがやってくると乗り口手前にあるセンサーが感知して動きだす。で、何かの都合でセンサーが働かなかったらしい。いつもどおりにエスカレーターに乗ろうとしたFMは乗り口で「カックン」してしまったわけである。
この「カックン」経験した人はそこそこ多いかなと思う。
 動いているハズのエスカレーターに向かって出した足が、エスカレーターが止まっていたため、予想着地点がずれてその落差分「カックン」するわけである。ようはそれだけなのだが、よく考えてみるとこれは少し不思議だ。

人間は意識せずに適切な歩行パターンを切り替えている

 止まっているエレベーターは段差の少し大きな階段と一緒である。ところが、何かの都合で止まっているエレベーターを上るときに、我々は非常な違和感を覚える。我々はエレベーターにあまりにも慣れてしまっているので、階段とエレベーターで我々自身が歩き方を変化させていることを普段は忘れてしまっている。エレベーターが止まることで、はからずも、そのギャップが露呈してしまうのである。
 幼児をはじめてエスカレーターに乗せるときは、大人が手を繋いでいても大変である。たぶん、FMだって最初にエスカレーターに乗ったときは、かなり苦労したはずだ。しかし、いったん乗り方を覚えてしまうと、後は普段歩行しているのと大差なくなってしまう。
 このエスカレーターの件では、もう二点、重要なことがある。我々はエスカレーターに乗る前に、動作しているかどうかのチェックをかなり怠っているということである。一連のシーケンスでチェックポイントを省略するというのは、ロボットやコンピュータでは、まずありえないことだ。
 あと一点は、基本的に人間の歩行では接地情報をフィードバックしていないらしい、ということである。「カックン」したあとはびっくりして、動作が一瞬止まってしまう。もしも接地情報が人間の歩行シーケンスに組み込まれてフィードバックがかかっていれば、接地した時点で何ごともなかったかのごとく続けて歩行できるハズなのにである。

人間はリアルタイムのフィードバック情報を有効利用できない

 人間の運動制御は基本的にフィードフォワードである。これには理由がある。知覚側の神経伝達速度が遅く、運動制御に使うには遅延が大きすぎるのである。以下の表を見て欲しい。

分類
直径(マイクロメートル)
有髄
速度(m/秒)
機能
12-20
70-120
運動神経
5-12
30-70
触覚、圧覚
3-6
15-30
筋紡錘に関する
2-5
12-30
痛覚、触覚
B
<3
3-15
自律神経
C
0.4-1.2
-
0.5-2
痛覚、反射、嗅覚

「ビジュアル生理学」より
http://bunseiri.hp.infoseek.co.jp/

 筋肉を動かす運動神経に比べて、知覚神経の伝達速度は一桁落ちる。数十ミリ秒のオーダーで信号遅延が起こってしまい、これだけでも制御ではかなりつらい。
 アウトプット側の運動神経との落差も問題である。伝達速度の差だけではない。人間の神経線維網は電気回路と異なり、信号を転送中でも次信号を送出できる。いわばバースト転送みたいなもので、コマンド送出量を飛躍的に増加できる。結局、アウトプット側とインプット側の単位時間当たりの情報伝達量に圧倒的な差があって、フィードバック制御など最初から望めない状況なのだ。
 「考えるな、体で覚えろ」と言われる所以はここにある。訓練で体得した一連のシーケンスコマンドの大量投入で、人間は俊敏な動作を実現できるが、間に知覚情報による環境認識を挟むと、途端に、スピードがガタ落ちになるのである。
 環境認識は適切なシーケンスへのトリガーでしかない。このトリガーを適所に挟みながら、個々のシーケンスをシームレスに繋ぐ、これが人間の運動機能の秘密である。

オンオフセンサーとしてではなく観測機としての知覚

 人間の知覚神経の伝達速度は確かに遅い。しかし、運動神経にはない優位点も持つ。
 運動神経は一本の神経索では基本的にオンオフ情報だけを伝達すれば良い。一個の筋肉細胞を収縮させるかどうかの情報を送るだけで良いからである。
 知覚神経系は伝達速度が遅い代わりに広いダイナミックレンジを持っている。人間の知覚はオンオフセンサーではなく観測機として外界の把握を行う。それは、リアルタイム制御には使えないが「経験」となって蓄積されていくのである。
(つづく)

まとめ
 人間が運動制御をフィードフォワードで行っているのはフィードバックができないからだ。
 神経伝達速度は体の大きさに関係ないので、「大男総身に知恵がまわりかね」は本当。
 FMが「カックン」したのは年のせいではない(と思う)。

2本足で歩こう[1]

2本足で歩こう[1]
ロボットが人間の歩行を真似しない理由


 実は頼まれ仕事ができたのだ。Robo-pups created with curiosity in mindの解説をせよ、とのお達しである。依頼主のおっさんには日頃から世話になっていることもあるし、興味のある話題なので、やる気はマンマンなのだが、なにしろ英文だし、最近サボっていたこともあって、少し下調べをしないと読むだけでも大変である。
 概要としては、「好奇心を付加した知能」モデルの実証実験のひとつらしく、AIBO(ERS-7)の動作を「頭を回す」「叩く」「噛む」に限定して、モーター位置などの低レベルセンサーとハイレベル視聴覚センサーのバイナリーデータを接続して、メタ学習を行う、というのが趣旨らしい。
 も少し、きちんと読んでから取り上げたいので、しばし、お預けとする。

 さっそく文献の和訳でも始めるのがスジだろうが、あまりこのブログをほったらかしにしておくと、ただでさえ読者の少ないこともあり、あっという間に忘れられてしまいそうである。
 ま、忘れ去られたところで、多勢に影響はまったくない。難点と言えばFMがちょと寂しいというくらいである。そうは言っても、もともとFMのわがままでやっているブログなのだから、メインスポンサーのFMが寂しいのは困る。
 そんなわけで、つなぎに、二足歩行の話をする。

ロボットにとっての二足歩行

 一昔前まで、滑らかな二足歩行を行うのは、ロボットにとって、かなり酷な課題だった。今だってそうなのだが、ASIMOだのQRIOだのが見た目、普通に歩いていたりすると、なんだか慣れっこになってしまって、たいしたことでないかのような錯覚をしてしまう。
 ロボットにとっての二足歩行というのは、移動方法の一つである。ところがこの方法、制御という観点からはやっかいな特徴を持っている。二足歩行時のロボットの重心は基底よりかなり高い。ポテンシャルエネルギーが高い状態であるので、制御としてはグローバルミニマムに安定点を置いてはいけないわけで、ポテンシャル障壁をつくってローカルミニマムで安定させなければならない。
 ごちゃごちゃ書いたが、ようするに転倒せずに歩くのは難しいということだ。

ロボットの歩行は人間のマネをしているわけではない

 制御系の伝達関数が負であれば系は安定する、というのが、まあ、大雑把な古典制御の話だが、単純なわりに強力なので、複雑な制御系の場合でも基本的にはこれの応用となる。負のフィードバックはローカルミニマムに安定するため、ちょっと見、うまくいくようにも見える。実際のロボットの二足歩行はもう少し複雑だが、ほとんどの場合、ある種のローカルミニマムを取るように制御系が構成されている。
 制御技術の発達の歴史からすると、この方向はそんなにおかしくない。ロボットなのだから、どう歩いても歩ければそれで良しとするのが、本来、妥当だろう。ただ、やはり、もともとのモデルが人間なので、人間の歩行もやはり気になるものだ。
 ぶっちゃけで言うと人間はローカルミニマムなんか気にせずに歩行している。これは公然の秘密である。

人間は重心を安定させるような歩き方をしない

 人間の歩行(あるいは走行)では重心は常にふらついている。意外に思われるかもしれないが、人間は転ばないように努力して歩いているわけではない。どちらかというと、常に転びながら前進しているというのに近い。フィードバックによる重心安定など毛ほども気にかけていない。
 にもかかわらず、人間は転ぶこともなく二足で移動する。この歩行を完成させるのに人間は生まれてから数年の修行期間を要する。身体の発達が必要という側面もあるが、それ以外にも、これだけの時間を必要とする理由がある。
 人間の歩行パターンは実は極めて多岐にわたる。条件に応じた歩行パターンを覚えるのに膨大な時間が必要で、なおかつ、適正な歩行パターンを選択する環境認識の学習にさらに膨大な時間を要するのである。
(つづく)

まとめ
 ほぼ同年代なので、おっさん呼ばわりで妥当と思われる。
 二足で歩いているからといって、皆、同じなわけではない。
 足の裏がでかいのは反則だろう、とか時々口走ったりはするが、それでも大変だということぐらいはわかっている。
 転びながら歩くというよりは、歩きながら転んでいる人もたまにいる。
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