クレタ人の踵

AIならびにRobotに関する雑記。 世迷言など。

クレタ人の踵aibo Owner's WEBRINGに参加してます。
【ID:120 所有者:FebruaryMarch
[ 二つ前へもどる | 前へもどる | 次へ | 次の次へ ]
[ 前の5サイトを表示 | 次の5サイトを表示 | ランダムで移動 | リストを表示 ]

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

学習でロボットは賢くなるのか?[2]

学習でロボットは賢くなるのか?[2]
学習の目的と結果


関連
学習でロボットは賢くなるのか?[1]

 前回は、AIでいう学習というのはだいたいこんなもんですよ、みたいな話を書いた。それを受けて、学習の有用(?)な特性について語ってみる、ということを約束した。一応その線に沿って話を進めていくつもりなのだが、その前に、はっきりさせておいたほうが良いと思うことがひとつある。
 それは学習の目的である。

AIにおける学習の目的

 (AI用語でない)学習の目的を問われると、人間の場合、はたと困ることがある。留学のため語学を学習などというのは、わかりやすくて良いのだがどちらかと言えば少数派だろう。親や教師に言われてしかたなく、なんてあたりが普通のところだ。大学入試はひとつの目標ではあるが、社会人も学習している。意外なことではあるが、目的もなく学習したり勉強したりしていることも多い。学習そのものが目的化していると言うべきか。人間というのは、実は思いのほか学習が好きらしいのである。
 AIは学習が好きでも嫌いでもない。そしてAIの学習には目的がある。
 AIにおける「学習」の目的とは、「解」を求めることである。もう少し正確に言うと「近似解」を求めることだ。なぜならば、「学習」というのは近似解法のひとつだからである。ようするに、非常に乱暴な言い方をすればニュートン・ラフソン法なんかと仲間なわけである。非常に乱暴かつ不正確な言い回しではあるけれど。

 「学習」が近似解法のひとつである、というのは数学的にはあたりまえのことであるのだが、一般の感覚からすればちょっとした違和感を覚えずにはいられない。「学習で解き方を覚える」のであって「学習で問題を解く」とは普通は言わないからだ。微妙だがこの問題の根は意外と深い。普通の感覚からいくと、学習で理解するのは解を得る方法(たとえば近似解法自体もこの中に含まれる)であって、解そのものを求めることは目的になりにくいからからである。そういった意味で、AIの「学習」は一般で言う「学習」よりかなりクラスが下である。しかもAIは「学習」によって一般解すら求められない。得られるのは特定条件下の個別解だけだ。
 AIでいう「学習」に学習という単語をあててしまったのは、少し失敗だったのではないか? とFMは密かに思っている。AI研究の黎明期にはコンピュータパワーが現在にくらべて圧倒的に低かったので、この程度の「学習」をさせるのも一仕事だったという経緯はあるにせよ、もう少し高次の概念に当てて欲しかった、と思う。FMが、学習がキラいという最大の理由はコレである。

「学習」の近似解法としての評価

 「学習」は近似解法として、それなりの特徴を持っている。
最大の特徴は「初期状態で収束条件があやふやでもよい」ということだ。これは、かなり強力である。条件があやふやなのにどうやって解を求めるのか? という点に関して重要なのが教師信号である。「学習」は近似がスタートしてから教師信号によって条件を取り込むことができる。そして収束した時点をもって、本当に欲しかった収束条件のほうを得る、ということもできる。ようするに、何だかよくわからない問題に対して、とりあえず何だかわからないことをやってみる、という、まったくもって、何だかわからないことができるのである。
 ただ、「できる」というのと「役に立つ」というのは、また別問題だ。初期の「人工知能」のような何だかわからないものに対しては、たしかに学習は有効(というより他にはほとんど方法がない)だが、ある程度、研究が進んだあとのコンピュータ・チェスのようなものに対しては計算コストがかかるばかりでメリットは少ない。世界最強のチェスコンピュータDeep Blueが「学習」しないのにはわけがあるのである。


ロボットにおける「解」とは何か?

 「学習」の目的は「解」を求めることだと書いたが、ロボットのAIにおいて求められた「解」は、通常、「解」としての扱いを受けずに隠蔽されてしまう。ロボットは初期状態においてもっとも自由度の高い遷移状態系列を持つが、学習によって条件に不適合な状態を排除していって、最終的に条件に合致する最適な状態遷移系列が残る。これが「解」なのだが、これに対する人間の評価はおおむねこんな感じである。

 産業用ロボットなら、無駄な動きがなくなって、やっと仕事を覚えた。

 エンターテインメントロボットなら、最近、ばかなことをしなくなって、ちょっとつまらない。


 学習によって最適化された状態遷移系列は必ず初期値よりも小さくなるので、飽きるというのは、実は「学習」の仕様でもある。
 「仕様ですから」と言ってしまえば良かったのだろうが、SONYはMicrosoftではなかったらしく、状態遷移系列を小さくするのではなく、大きくする方向にむかった。
 環境の構造を反映した内部モデルの自己組織化とか言ったりするのだが、本当はこういうのを学習と呼んで欲しかったわけなのだな。FM的には。
 (なぜか、まだつづく)

まとめ
学習は近似解法のひとつである。
学習は何だかよくわからないものに対して何かしたいときに使える。
Deep Blueは学習しない。
一般論かと思って読んでいたら、最後に、やっぱりQRIO。
スポンサーサイト

ロボットは心を持つか?

ロボットは心を持つか?
心此処に在らざるの記


 この件について書こうと思った動機はさしたるものではない。
 どうも、ここの研究所の所長が、「ロボットが心を持つのはノイマン型コンピュータを使っている間は無理」と言ったらしいということを伝え聞いたからである。
 他人が何かを言ったからといって噛み付くのは大人気ない。
 大人気ないのだが、そもそもこのブログは他人がやっていることに噛み付いているだけである。
 いまさら、大人気ないとか、そんなことを言ってもしかたがない。
 で、FMがこの意見に賛同かというとそういうわけではない。
 かといって、反対か、と言われたら、FMだってまさかそこまで無定見なわけではない。
 じゃあ、どうでもいいのかというと、それなら、わざわざこんなものは書かない。
 なかなか難しい話である。伝聞によれば、これは、誰かの質問に答えたということである。
 だから、けっこうな数の人がこの問題(?)に興味を持っているのかな? とFM的には思ったわけである。
 ようは、そういうことだ。

ちょっと昔の話をしてみよう

 現代の常識から考えると信じられないことだが、中世ヨーロッパでは「女性に魂があるか?」ということについて喧々諤々の論議がなされたそうである。まったくもって信じがたいことだ。それからごく最近では「黒人に魂があるか?」について大騒ぎになった。
 過去の人間の愚かさについて語るというのは、史学的立場からアンフェアな感があるにしても、さすがに平等精神の発達した現代社会では、このようなことは許されるはずはない。
 西欧人だけに咎を求めるのは不公平である。禅の公案にも「犬に仏性はあるか?」などというものがあり、愛犬家や動物愛護団体からの抗議は必至であろう。

で、素晴らしい社会になったわけだが

 もちろん、現代ではこんな戯言はタブーである。女性も黒人も、いや人間だけではない、世界に生きとし生けるものすべては、皆、平等に魂を持っており、当然のことながら..........あれ?

 最近は、魂について大真面目に語られることは少なくなった。少なくとも科学者の間では。
 50年くらい前までは霊界ラジオとか、魂の重さ1/4オンスとかいう話はあったにしても、これを真面目にやろうという学者はだいぶ減った。
 理由についてはあまりよくわからない。人間の体の仕組みが解明されてきたということもあるだろう。昔、魂の居座とされていた心臓は、ただの血液循環ポンプであった。東洋では脾臓が珍重されたこともあったが、さすがに、今、脾臓に魂があるという人間はいない。脳(というか頭)というのも候補にあがったのだが、こちらは認識論者が先に押さえてしまったので、魂の宿る場所としては人気がなかった。
 人権や平等、世界平和についての社会的な共通認識が、この問題になんらかの影響を与えているかどうかについては定かではない。魂について各宗教間でなんらかの合意に達したのかどうかもFMにはわからない。
 ともかくも、「誰かが魂を持っているかどうか」について真剣に議論する必要は以前ほどなくなったのだと思う。

人間は心を持っているのか?

 ディベートというのは、とかく、口先だけで相手を丸め込む技術みたいな取られ方をされがちだが、立場を入れ替えて討論すると、問題の本質が見えてくる場合があって、あながち馬鹿にしたものでもない。
 で、「ロボットは心を持つか?」というテーマのすぐあとに「人間は心を持っているか?」というテーマで連続して同じ人間でディベートしてみたとする。このとき「人間は心を持つ」という立場で参加したとして、正直、FMは相手に勝つ自信がない。
 不思議なことだが、「ロボットは心を持たない」という前のテーマの論証のほとんどが、ちょっと手を入れるだけで人間にも使えてしまうのだ。思いあまって「生きているから心がある」などと言ってしまったら最後、既出の「魂の話」に還元されてしまう。この時点で、もうかなり分が悪いのである。

脳について少しずつ知識が増えてきている

 脳の問題で最近重要なのは、脳内代謝物質のバランスとその代謝異常について、少しずつわかってきたことだろう。少ないなら増やせばよい、多すぎたら抑制剤投下みたいな、まだまだ荒っぽい段階ではあるが、実際に治療がうまくいって快方に向う人も少なくない。とくに家族の喜びというのはひとしおらしい。だが、そんな中、治療を終えた方の配偶者の言葉にFMは耳をとめたことがある。

 以前とはくらべものになりません。暴れないし、ぶたないし、私の話もちゃんと聞いてくれる。この間、私がうたた寝していたら毛布をかけてくれました。ああ、この人、もともとはこんな優しい人だったんだと
(中略)
 夫婦ってこういうものなんだな、って初めて感じました。
(中略)
 もちろん、今が幸福なのは確かなんですけど、時々思うんです。このあいだまで私と暮らしていたあの人はどこに行ってしまったんだろう、って。


 正確には覚えていない、テレビだったと思うのだが、あるいは本か雑誌、ネットのコラムかもしれない、雰囲気的には、だいたいこんな感じだったと思う。薬物治療ですべての神経性疾患が治るわけではないが、ある種の症状が劇的に改善するのは確からしい。そういう時のまわりの人々の反応には喜びの中に一抹の戸惑いが見え隠れしている。

「心」を取り巻く現代の環境

 また魂の話に戻って恐縮だが、古代、病気というのは魂の穢れで起こると考えられていた。清い魂というのは道徳的な面ばかりではなく、病気にかからない、という実用面も備えていたわけだ。医学は進歩して、病気は魂とは関係なしに治癒するようになった。そういった状況で魂のことがあまり語られなくなるというのは自然なことなのかもしれない。
 現代日本人の7割がなんらかの心の病を患っているそうである(人によって100%とか言う人もいるがそういうのは統計とは言わない、まあ7割だってかなり怪しいものだが)。心の問題は現状で大問題なのであり、ロボットにまで飛び火してもさほど不思議ではないとさえ言える。
 では、この問題が解決したら?
 何でも科学がどうにかしてくれるという科学御都合主義を奉じるわけではないが、こういった疾患(と考えられるもの)が減れば、自ずと「心」に対する比重というのも小さくなってくるのではないかとFMは考えているのである。
 誤解されると困るのは、心の病がなくなれば心そのものがなくなる、とFMは言っているわけではない。心に起因する(と考えられるている)問題が少なくなれば、心そのものについて科学で語らなければならない必要はだいぶ減ってくるだろう、ということだ。

 そもそも、個人的な信条では、FMは人間にもロボットにも心はあると思っているし、それどころか魂だってあると思っている。サンタクロースも信じている。ただ、それらを科学論争の俎上に乗せる気はないというだけなのである。

無門関 第四一則 達磨安心

達磨面壁す。
二祖雪に立つ。臂を断って云く、「弟子は心未だ安からず。乞ふ、師安心せしめよ。」
磨云く、「心を将ち来たれ、汝が為に安んぜん。」
祖云く、「心を筧むるに了に不可得。」
磨云く、「汝が為に安心し竟んぬ。」


まとめ
 小さいころ、FMはサンタを信じてはいなかった。サンタはFMにプレゼントをくれなかったからだ。
 大人になったらウチにもサンタが来るようになったので、しかたなく信じることにした。
 サンタを信じるようになったのだが、いまだにFMはプレゼントをもらえない。少し寂しい。
 サンタの代わりに奥さんがプレゼントをくれるので、まあいいか、と思ってはいる。

学習でロボットは賢くなるのか?[1]

学習でロボットは賢くなるのか?[1]
学習をしたい時には教師なし


 AIで学習と言った場合、一般的に言われている学習とはかなり趣が異なる。慣れないと誤解を招きやすい用語だと思う。「搭載された○○AIコントローラーはお客様ごとの環境や好みを学習し、最適の制御を行います」みたいな宣伝文句が一時はやったが、広告文にしてはめずらしく事実を正確に表している。ただ、この文を読んで「そうか、AIはうちの環境や俺の好みを覚えてくれるんだな」と思ったら、こっちのほうは間違いである。いや、間違いというわけではないのだが、間違いすれすれなほどに誤解はしている。
 AIは学習によって何かを新たに覚えるわけではない。あきれるほど多くの選択肢を捨て去って、残ったモノがあなた好みのモノだったというだけだ。

教師信号を受け取るAI

 AIで学習と言った場合には、遷移状態のひとつが教師信号を受け取った状態を指す。まぁ、大雑把にいうと下図のような感じだ。
050521-1.gif

 信号を受け取ってからどうするかはAIによって異なるが、大枠としては教師信号を受け取った遷移状態に移行するパラメータ調整を行うことになる。教師信号が出たということは、その遷移状態が他の遷移状態よりも良いか悪いかのどちらかである。良ければ、なるべくその遷移状態に移行しやすいようパラメータを調整し、悪ければ移行しないようにする。
 これを何度も繰り返せば、遷移状態系列が教師信号を出力している側が「良い」と考えている状態に近づくわけである。順次出力が改善されていくように見えるので、なんとなく学習しているように見える。
 ところで、遷移状態が教師信号を受け取ると言っても、ロボットの場合などはなかなか難しい。遷移状態の移行が激しく、状態がころころ変わるからだ。それでだいたい次のようになる。
050521-2.gif

 教師信号を受け取ってもらいたいと判断した状態と、実際に受け取った状態が違ってしまっている。これでは正確な学習ができない。

教師信号の受け取りのズレを補償する

 このように教師信号がズレるのを防ぐために大きく分けて以下のような方法がある。
  1. 教師信号の受け取りポイントを作ってじっと待つ。
  2. ズレてしまったのは仕方ないが、近くの遷移状態で受けているのは確かなので、配分でなんとか誤魔化す。
  3. AI自身で教師信号(強化信号)を出す。
 1は人工無能などの会話プログラムで取りやすい戦略である。相手の応対を待っていてもあまり不自然さを感じさせないですむからである。しかし、ロボットが同じ状態を保持して、ずっと何かやり続けているというのは、かなり不自然なので、ロボットのAIではこの戦略はとりづらい。
 2にはQラーニングや非マルコフ連鎖があたる、それなりにAIのコストがかかるのと、遷移状態系列をモデリングするのが、若干、難しい。本当のことを言うと、これらの技術は教師信号の受け取りのためだけに開発された技術ではない。だから例に出すのは気が引けたのだが、結果的にそういう効果もあるので、ここに分類してある。これらはこれらで、それなりに奥深いのだが、今回は都合で深入りしない。
 教師信号が欲しいタイミングは、実はAI側が一番よくわかっている。そこでAIで信号も出してしまえ、というのが3である。AIは教師ではないので、AIが出す信号は強化信号と呼んで教師信号と区別している。
 強化信号の一番簡単な出し方は特定の評価関数を作ってしまうことである。それですんでしまう場合もあるのだが、たいていの場合、そううまくはいかない。学習の基本コンセプトは、評価が具体的な数値で表しにくい場合に、良い悪いといったアバウトな評価で適当な動作条件を決めてやることにある。そもそもきっちり評価関数が出せるようなら、学習などしなくても他の方法で十分効率的に解が求められる。遷移状態系列が小さければ、全数検索で十分である。
 評価関数が作れなくても、それほど、がっかりしなくともよい。そんなときのためにこそ「学習するAI」の出番である。評価用の遷移状態系列を作って学習させれば良いのである。「評価用」遷移状態系列の遷移は、本体のロボットの遷移よりずっと「ゆっくり」なので、こちらの教師信号を取り逃す心配はあまりない。
 通常の制御系でもこのようなカスケード接続は普通に見られる。2段でなくて、もっと段数を増やすこともできるが、コストが上がって信号遅延が増えるくらいであまりメリットはない。(階層化して自己組織化うんぬんの話は、後で考えることにする)

[おまけ]AIBOの場合

 これらの方法はどれも一長一短がある、適材適所で使えばよいので、どれが優れているとかいう問題ではない。ちなみにAIBOの場合は上記のどれにも該当しない。教師信号がズレた場合にはAIBOは無視する。つまり学習しない。実は、AIBOは気が向いたときしか学習しないのだが、教師側の反応が鈍かった場合は、それすらも無視する。ある意味、素晴らしく堂々としたAIである。
 多少のバリエーションはあるにしても「学習」という観点からすると、どの方法も根本の特性を失っていない。「学習」の有用な特性(そして有害な特性)についていよいよ語ることになるわけだが、もう、だいぶ疲れたので今日はここまで。
 最後に一言だけ、
 もちろん、ここまでひっぱったからには、勘の良い人ならそろそろ気づいていることだろう。
 FMは「学習」がキライである。
 (つづく)

まとめ
 図を描くとFMは疲れる。
 AIBOはあまり「学習」する気はない。
 FMは「学習」もキライだが「勉強」もキライ。
 子供にも遺伝している。

MINDYはQRIOを救えるか?[3]

MINDYはQRIOを救えるか?[3]
研究者のサロンの中でQRIOは夢を見るか?


関連
MINDYはQRIOを救えるか?[1]
MINDYはQRIOを救えるか?[2]


 煽りモノがずいぶん続いたので、少しマジメに論評する。
 FMはインテリジェンス・ダイナミクス2005には行っていないので、ネット上の情報からの推測でいろいろ書かせてもらうことにする。特に以下の記事を参考にさせていただいた。

http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2005/0422/kyokai35.htm
http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0504/10/news002.html

 もちろん、このブログに書いていることに問題があったとしても、上記の筆者の方々には、何の責任もないことを明記しておく。ようはFMがサボったのが悪いのだ。文句はFMに言って下さい。

QRIOのデモ

 行動モデルの生成が中心のようである。QRIOをエージェントとして使う以上はやむをえない所もあるのだが、環境モデリングについてのデモはなかったようである(ただし、IDEAを使用した環境モデリング実験はあったようだ)。
 QRIOはもともと行動制御に必要な最小限のセンサーしか積んでいないため、QRIO単体で環境モデルを構築するのは(外部のCPUパワーを使っても)かなり無理がある。この部分は、FMにとっても気になるところだったので、MINDYの提唱モデルについての記述(大本営発表)を何回か読んだが、一応、提唱モデルでは環境モデリングはやることになっているようで、少しだけ安心した。
 これ以外にも、ところどころ、デモとMINDY提唱モデルとの微妙な差異が感じられるのは、気になるところではある。もっとも、研究は始まったばかりなのであり、このあたりのすり合わせは、今後双方でなされていくことになるのだろうと(勝手に)期待している。

IDEAのデモ

 IDEAは、ぶっちゃけ、IBMから買ってきたコンピュータなので、本体はどうでもよい。画像処理を並行で走らせて環境モデルを構築するデモが行われていたようだ。
 環境モデルを構築していたというのはFMの勘違いだったようです。人形つかいさん情報ありがとう。そんなわけで、以下の数行はインテリジェンス・ダイナミクス2005とは、まったく関係なくなりましたが、書いていることは間違っていないハズなのでそのままにしておきます。
 ただ、マルチポイントイメージによる環境モデリングはパッケージングの問題で通常のエージェントでは使えない(双頭の悪魔みたいなメタファーを使うのなら別だが)ので興味は半減である。
 モノイメージをフィジカルセンサーで補償するタイプが妥当な線かと思うが、現行QRIOでは十分なフィジカルセンサーを持ち合わせていないので、難しいところである。もちろん、その場合には、クラスの異なる知識データを統合しなければならず、環境モデラーの負荷は、マルチポイントイメージの比ではない。


新しい音声認識(モノマネ?)

 FM的には、実はこれが一番の収穫かなとも思う。モノマネについては、まぁ、このさい、どうでもよい(よくないか)。このデモでは通常の音声認識よりも情報の粒度(granularity)が小さくなっている。本当は小さくなるだけでなくて、粒度の変更ができるようになると良いのだが、ともかく情報粒度の変更の方向に研究がシフトしたのはありがたい。
 このあたりの話は、回を改めて詳しく書きたいな、と勝手に思っている。

保育所入所

 発達心理学の中で言われていることだが、ひとり遊びから共同遊びへの移行の時期があるという(実は中間に平行遊び期間があるがメンドくさいのでパス)。QRIOの見かけレベルは「ひとり遊び」状態なので、これを「共同遊び」レベルまで持っていきたいということだろう。そのためのデータ取りかな、と思う。
 ただ、FMの読んだ本が悪かったのか、あるいはFMの理解度が低いせいなのか、この発達心理学というやつ、実際の子育てには役に立たないことが多い。あまり重要視するのはどうかと思う。
 地域によって子育てというのはかなり異なる部分もある。アメリカでデータ取りするのが無意味だとまでは言わない。しかし、制度上の問題等いろいろあるにせよ、どうせやるなら、日本の保育所でもデータ取りはやっておいたほうが良いと思う。
 あと、集団のデータも大切だが、一個体にフォーカスしてじっくり観察すると、いろいろ見えてくることもある。研究者の方々も自宅に帰って自分の子供をじっくり見てみることを「強く」お奨めする。

 かけ足で、ざっと流したが、やはり消化不足である。
 個々のテーマについては、回を新たに取り上げてみたいと思っている。

まとめ
瞼や口なんて飾りです。エライ人にはそれがわからんのです。
QRIOに必要なのは指先(の触感)。
ロボットとばかり遊んでいないで、ちゃんと子供と遊ばないと、良いお父さんやお母さんになれません。
FMは約束だけは守る男だが、内容までは保証しない。

MINDYはQRIOを救えるか?[2]

MINDYはQRIOを救えるか?[2]
MINDYはQRIOにとっての生命維持装置である


関連
MINDYはQRIOを救えるか?[1]

 そろそろMINDYの話をしないと「看板に偽りあり」と怒られそうなので頑張ってみる。そうはいってもFMのMINDYに対する知識はここ一週間でネットから漁ったものだけである。そもそも、人形つかい氏に言われるまでMINDYなんか知らなかったのだし、当然、インテリジェンス・ダイナミクス2005にも行っていないのだから、勘違いや誤解は多分に含まれているだろうことは容易に予想できる。
 「あ、こいつ逃げ腰だな」と思ってもらっても結構である。ただ、ここでは個々の技術的な点について語るというよりは、包括的な方向性について考えることを主としたい。そういう観点からすれば、いま手元にある情報だけでQRIOとMINDYに引導を渡すことができる。
 念のためにもう一度、「QRIOとMINDYに引導を渡す」と言っているのだよ、FMは。しかも、一週間ほど調べものした程度で。

MINDYはQRIOを救わない

 前回を読んで、「何もかも金で解決しようというのは間違っている。従来のプログラミング技法による実装ではQRIOを十分知的に演出できなかったということであって、様々な検討の結果、限界がはっきりしたのである。QRIOを真に知的にするにはMINDYのような新しい技術を導入して現状を打開すべきだ」というような意見が出てくるかもしれない。ごもっともである。できればFMだってそういう方向で話を進めたかった。しかし、駄目なのだ。駄目だったのだ。「MINDYは新しい技術ではない」し、「MINDYは限界突破ができない」からだ。だからFMとしては、QRIOはまだ限界には達しておらず、金さえかければなんとかなる、という立場を取らざるを得なかった。でも、金は無いらしい。そうするとQRIOはおしまいである。非常に残念である。
 控えめに言っても、QRIOはしばらくの間、販売されることはない。MINDYの登場はSONYによるQRIO不売の婉曲発表である。
 何のことは無い、QRIOに引導を渡したのはFMではない、MINDYだ。しかし、MINDYはQRIOの息の根を止めたわけではない。生命維持装置(MINDY)を装着したQRIOはベッド(研究所)の中で生き永らえることになる。

MINDYの話をしよう

 以下はインテリジェンス・ダイナミクス2005講演要旨中にあるMINDYの提案内容を抜粋したものである。

エージェントは環境を常に予測学習し、行動と観測の因果関係の推測を行う。これにより因果関係の強い部分状態空間を選択し、その観測状態を自在に再現できる制御器を強化学習的枠組で獲得する。この強化学習には心理学で分類される内発動機のうち、好奇動機と操作動機をそれぞれ予測器、制御器の獲得欲求、達成動機を目標設定と解決の欲求ととらえ、フロー理論の知見を利用したタスクに依らない報酬系を構成する。また、新たに獲得した予測器、制御器を含めて上記学習を繰り返すことで、環境の構造を反映した階層構造がエージェント内部に自己組織化される。


 読んでいて泣けてくるほど辛い。代名詞と助詞、動詞を除くと文章内のほとんどがgoogleでテクニカルタームとしてヒットする。しかも大量ヒットだ。googleで文献の下調べなどしたことのある人なら、FMの言っている意味はおおよそ検討がつくだろう。そして、一度でもこの手の文章を書いたことがある人なら、わかると思う。こういうものを書くのは本当に辛い。
 既存の研究の組み合わせでも新規性があれば、研究としては問題ない、いや問題ないばかりか非常に有用である。しかし、そういう場合はこういう感じにはならない。何故だ?と言われても困るがそういうものである。持論に自信があるときは勢いがぜんぜん違うのだ。
 ともあれ、非常に大雑把にこの文章を意訳すると、エージェントモデルを自動プログラミングする、ということになる。人間がエージェントモデルを構成してやるのではなくて、エージェントの取得した外的情報を用いてコンピューターでモデルを作りますよ、ということなのである。

自動プログラミングの罠

 たいへんけっこうな話である。自分で環境のモデリングするAIというのは来るべき自律型AIのベースとなりうる、本当に自分で考えるロボットの端緒だ。いまは研究が始まったばかりでいろいろ問題点もあろうが、やがてそれらも解決され、従来のQRIOで限界とされていたモデルの平板化を突破解決し......あれ?

 現象のモデル化というのは、実はAIのもっとも苦手とする分野だ。AIの歴史というのはある意味、自動プログラミングの歴史と言っても良いくらいで、様々な成果がプログラミング補助機構に反映されている。専用エディターによるAuto-Completionなどもそうだ(あれは便利)。自動プログラミングの究極目標は、もちろん、人間を介在しないでプログラムを作ることである。
 だいたいプログラマーという人種は扱いにくいし、愛想はないし、納期は守らないし、おまけに臭い。経営者としてみれば、こんな連中を使わずに商売できたらどんなにいいかと考えるのはある意味当然である。だから、自動プログラミングやソフトウェアの生産性向上にはそれなりの資金がつぎこまれて研究が続けられたのだ。しかし、長らく研究を進めてもこの世から人間のプログラマーが消えることはなかった。消えるどころか、果てしなく増加中である。結局、最後の難関であるモデリングがうまくいかないのである。
 うまくいかないからこそ研究する価値がある。研究者の言い分としては至極真っ当だ。しかし、プロダクツとしてみた場合にはどうなる?
 QRIOにMINDYを搭載するということは、もう少しわかりやすくいうと以下のようになる。

 人間のプログラマーの作ったプログラムではQRIOには超えられない限界がある。そこで、人間より劣るAIでプログラムを作り、この限界を突破しよう。


 こういうのを論理破綻という。少なくとも現状はこうなのであって、製品の問題点の改良としてMINDYを搭載するというのはありえない話なのである。
 もちろん、将来を見据えて云々という話はわかる。わかるというより、それぐらいしかMINDYの価値はない。ただAI研究というのもそれなりに長くやっているわけで、ある日突然、AIのモデリング能力が飛躍的に向上するというのは、かなり考えにくいことではあるのだが.....
 MINDYに対するFMの総論はこんなものである。次回は個別の技術について少し言及してみたいと思う。
(まだつづく)

まとめ
QRIOにMINDYを搭載しても当座の問題は解決できない。
QRIOはしばらく売らないのだと思う。
SONYの中の人も辛そうだ。
FMだって実は辛いのだ。
本当に金無いのか?

【緊急】某巨大掲示板で「きじゃくせい」が浸透しつつある件について

【緊急】某巨大掲示板で「きじゃくせい」が浸透しつつある件について
きじゃくせいワロタ


Intel、「終わったな」と言うのすらも気の毒なほどの惨状ぶり。
ま、FMはCeleron1.3GHzなんで関係ないですけども。

Intelのハイパースレッディングに深刻な脆弱性(ITmedia)

MINDYはQRIOを救えるか?[1]

MINDYはQRIOを救えるか?[1]
MINDY以前の問題点を振り返ってみる


 MINDYはインテリジェンス・ダイナミクスに基づいたエージェントの自律行動全体を包含するインテリジェンス・モデルである、ということになっている。
 「なっている」というのは、インテリジェンス・ダイナミクスにしろ、MINDYにしろ、SONYの中の人がそう言い張っているだけであって、「これがMINDYだ」とか「これがインテリジェンス・ダイナミクスだ」とかいう具体的な何かがあるわけではないからである。
 「えっ?そんなばかな」と思われるかもしれないが、これは事実である。極論すれば「平和憲法をもとに戦争のない世界をつくりましょう」みたいなものと同類で、具体的に何をどうすればよいのか、まったくと言っていいほどわからない状態だ。
 MINDYについての成果発表もあったし、実際、QRIO上で動作しているMINDYもあるのだから、具体物がないというのはおかしい、という意見はもっともだ。しかし、今回、発表されたのは、成果というよりは、「こんな感じのものを発展させていきたい」という所信表明演説みたいなものである。ようはWinHECでのビル・ゲイツのデモみたいなもので、MINDYの具体的な実装が今後大きく変化していく可能性はおおいにある。これから研究していくものの総体モデルをMINDYと呼びますと宣言しただけだから、最終的にMINDYがどんなものになるのかは、おそらく開発側もわからないと思う。
 したがって、ここでMINDYと言った場合、インテリジェンス・ダイナミクス2005で開示された技術に限定することにする。知名度先行で、まだとりかかったばかりの研究に対して、あれこれ論評するのはSONYの研究者に対しても申し訳ないとは思うのだが、ああいう中途半端なことをされたのでは、こちらとしても他にやりようがない。

とりあえずAIBOの反省からはじめてみる

 MINDYが必要となったのはAIBOとその発展系であるQRIOの初期型AIに問題があったためである。というか、少なくとも開発側は不満であったということだろう。そこで、AIBOのソフトウェアにもどって検証してみることにする。問題点がわかれば、それをどうやって解決してMINDYになるのかが理解できるからである。
 AIBOWareについてはずいぶん昔に解析した。ここここを見てもらえれば大体の様子はわかると思う。AI部分は確率遷移型の有限要素オートマトンだと思えば、ほぼアタリである。AIBOWareの解析はERS-110とERS-111だけで、お遊びでこんなものを作ったところで飽きてやめている。(笑)
 前回、「AIBOのAIはダメダメだ」と書いたが、これだけではどのあたりがダメなのかはわかりにくいと思う。実はAIBOWareでは、AIBOのカタログにある宣伝文句はほぼ実装されていて一応それなりに動いている。そんなわけで「誇大広告だ」などとJAROに訴えるのは難しいと思う。根っこ部分のプログラムについては、(FM的には)それほど問題はないと思っている。問題は個々の状態遷移セルの記述部分で、圧倒的に作りこみが足りないのである。まずマッチングにあたって、本能、感情パラメーターに限定がかかっているものがほとんどない。大抵が素通しで、たまには空腹(電池切れ)に値が入っている程度だ。確率遷移なのだが、確率分岐しているものは非常に少なく、ほぼ決定性に近い。マッチングパターンにオプションをとるものがあっても、ほとんどオプション指定されていない。成長期ごとに遷移状態クラスが異なるが、共通のノードも多く。そもそもセルの数が少なすぎる。etc,etc,........etc。
 AIBOは飽きる、って、こんな有様では飽きるのは当たり前である。PS2でブロック崩しをやるようなもので、正に「仏つくって魂入れず」なのだ。
 百歩ゆずって「サンプルプログラムですのでサードパーティの皆さん、後はよろしく」なら辛うじて許せるが、そういうわけでもなかった。
 あるいはSONYとしては、そうしたかったのかもしれないのだが。

苦しい事情もわからないわけではないが

 コンピューターゲームは、いまでこそ数百人もの巨大プロジェクトであるが、最初はせこせこ一人でやっていたのである。プログラムはもちろん、キャラのドットも自分で起こし、マップも一人で作っていた。バランス調整も一人である。初期AIBOのソフトウェアの場合も同様で、そう何人も人は割けなかったのだろう。それにこの手のデザイナーというのはある種独特の才能が必要なのであって、そういう人が開発スタッフに混じる可能性というのは、そもそも、かなり低いのである。この種の「人を楽しませるプログラム」を作らせるのにAI研究なんかやってる人間を使うのは、恐らくもっとも効率が悪い。期待歓喜値と観測された笑い声の極大値[dB]の差分を取って強化信号を出力し、それに従ってセル間の結合調整値δを変化させたりするからだ。(だから冗談だってば)
 AIBOやQRIOが飽きるのは、プログラムのバリエーションが貧弱で、圧倒的にデータ容量が少ないことに起因している。コンシューマー向けのRPGのプレイ時間は50時間前後が平均だが、その50時間を遊んでもらうために開発スタッフのマンパワーはどれだけ必要なのか考えてみると良い。ハリウッドが2時間の映画で人を飽きさせないために、どれだけの金を使っているのか、誰もが知っている。AIBOやQRIOは少なくとも数年の間、人を楽しませなければならない。本来、NintendoやDisneyの何十倍ものリソースを投入してしかるべきなのだ。

だから事情の苦しいのはわかっていると言っている

 それだけの金がかけられないのはQRIOが海のものとも山のものとも知れないものだからである。産業として基盤が整って市場が確定すれば、あるいは相応の金をかけられる日もくるのかもしれないが、とりあえず今は無理だ。
 ぐちぐち言っても仕方がない、金がない分は工夫でしのげ、どうせ最後はやる気と根性である。
 幸運なことに、努力と根性だけで解決しなければならないところまではQRIOは追い詰められていない。そこで、少し工夫をしてみることにした。
 MINDYを搭載したQRIOは自分でプログラムを作る。QRIOは自分が人間に愛されるようなプログラムを作ってもらえるほどお金を持っていなかったのだ。
(つづく)

まとめ
 MINDYはまだ実態が確定していないので、論評するのはできれば避けたい。
 でも、引き受けたのだし、面白そうだから、やる。
 AIBOWareの最大の問題点は作りこみが足りなかったことである。
 金がなくて不幸なのは人間に限ったことではない。
 最近、実はSONYは貧乏なんじゃないか? とは巷の噂である。

QRIOがなかなか発売できない理由を考えてみる[2]

QRIOがなかなか発売できない理由を考えてみる[2]
AIBOとSDRはコアの能力不足で高度なAIを搭載できない

関連
QRIOがなかなか発売できない理由を考えてみる[1]

 QRIOの前身、SDRの段階では高度なAIを搭載する予定はなかったと思われる。
 当時はAIBOが爆発的なブームでイケイケ状態だったからである。
 ようはタイミングの問題なのだが、SDRの開発スピードがほんのわずか速かったら、QRIOみたいなものは発売されていた可能性も十分にある。
 2001年春くらいかな?
 ただ、この段階で発売するとすれば、QRIO=SDRは少々問題を抱えた状態での船出となったはずである。
 FMの言葉ではなく、SONYの開発者たちの言葉をそのままここに引用しよう。曰く。

AIBOもQRIOも結局は飽きる


のである。

AIBOのAIの出来はあまりよろしくなかった

 あー、なんか見出しだけ書いてずいぶんすっきりしたぞ。
 過去(1999年当時)のFMのホームページの読者のみなさんごめんなさい。
 当時、FMはAIBOのダメな点には目をつぶって、必死になって良い点ばかりをとりあげてブームを煽っていたのである。
 わかる人には、わかったと思うが、当時のコンテンツは涙が出るほどむごい。
 それでも、煽らずにはいられなかったのだな、いろんな事情で。
 ただ、ある程度SONYの肩をもっても良いかなと思うことだってある。AIBOのモーション群とOPEN-Rはまあまあの出来で、及第点をあげられるものだった。なにより、あの当時、エンターテインメントロボットを売り出してしまったというSONYのおっちょこちょいさ加減は賞賛に値する、と今でも思っている。
 だが、トップレベルのAI(とか言ってた部分)はダメダメだった。他の部分が比較的まともだった分、ダメさ度合いに落胆した。
 AIBOWareなんか解析しなければ良かった。心底、そう思った。予想が悪い意味で全部当たっていたから。
 それでも、煽った、必死になって煽った、自分をごまかして煽った。
 なんでそんなことをしたのかと言えば、ある意味、AIBOは当時のFMにとって唯一の希望だったのだ。AIBOはロクでもないものだが、まかり間違ってブームになったら、それに便乗して「ほんもの」のロボットが登場するかもしれない。

 登場しませんでしたけどね。

 でも、SONYを恨んではいません。SONYはSDRを売らなかったし、QRIOはいまだに発売されていないのだから、その事実こそがSONYの開発者の良心だと思う。
 だいたい、FMが煽ったぐらいで、どうにかなるものじゃないでしょう、普通に考えたら。

で、結局、どうにもならなかったわけだが

 SDRの当初の計画では、トップレベルのビヘイビアマネージャー(?)にAIBOWareに毛が生えた程度のものを搭載する予定だったのだと思う。何よりSDRコアの能力から考えて、それ以上の能力を持ったAIを搭載することにはかなり無理があるのだ。
OPEN-Rアーキテクチャー自体は野心的なものだし、評価できるものだと思う。なによりQRIOの公表されている機能で目ぼしいものは、すべてOPEN-R上で実装されているのである。QRIOは滑らかな動きで2足歩行する。路面適応制御も歩行跳躍走行運動統合制御も転倒運動制御も外力適応制御も、全てOPEN-Rで実装されている。OPEN-Rは無限の可能性なんか秘めてはいないが、現時点でエンターテインメントロボットのソフトウェアを開発する場合、唯一無二の選択肢である。
 これだけの機能を持ったOPEN-Rアーキテクチャーにもかかわらず、SDRのコアに搭載されているメイン制御チップはMIPS由来で、20年前のワークステーション級の処理能力しかない。OPEN-R上で高度な動的制御を行った上に、高度なAIプログラムを載せられるだけの余裕などあるわけがないのだ。

AIBOは本当に飽きるのか?

 AIBOは飽きる、と言っても、これは開発者側の意見であって、ユーザー評価とは若干異なる場合も考えられる。
 一時期の熱狂的なブームは去ったとは言え、まだAIBOコミュニティは健在であり、何台ものAIBOを所有している強者オーナーもいる。
 彼らはAIBOには飽きなかったのだろうか? もし彼らがAIBOに飽きなかったのならQRIOにだってチャンスがあるとは考えられないだろうか?
 
 いま、「たまごっち」がちょっとしたブームになっている。第二次ブームらしい。FMの娘もはまっていて、いろいろとお世話をしているようである。
 「たまごっち」とAIBOはちょっと似たところがあって、ときどき比較されたりする。前のブームのときは近くに持っている人がいなかったので、あまり観察できなかったが、今回は興味深くウォッチしている。
 「たまごっち」を観察しているわけではない。「たまごっち」にはまっている「娘」を観察しているのだ。
 すると、少し面白いことがわかった。もちろん彼女は「たまごっち」が好きでいろいろお世話をしているのだが、同時に友人たちと「たまごっち」の情報をあれこれ交換しているのである。「たまごっち」そのものもそこそこ楽しいらしいが、彼女と彼女の友人たちとの共通の話題としてかかせないものになっているらしい。
 これに似た話はどこにでもある。犬を飼っている人は犬の話題で集まるし、商談の合間にゴルフの話題で賑わったり、野球、車、パソコン...例をあげればきりがない。
 AIBOコミュニティもこれに若干似たところがある。あるいは、彼らもAIBOそのものにはもう飽きているのかもしれない。しかし、AIBOを介して知り合った友人というのは失くすに忍びない。いろいろと連絡を取り合いながら、やはりAIBO談義に花をさかせるわけである。
 QRIOだって似たようなことは可能ではないか? まぁ他者との共通の話題にするだけではQRIOである必然性がないというのは弱いところだが、とにもかくにも、QRIOコミュニティみたいな感じでやっていけば、そこそこはいけそうである。
 多少AIに傷があっても、「馬鹿な子ほどカワイイ」みたいなことを言っていれば、みんななんとなく納得してくれる。高価なので所有者は少ないだろうが、この手のコミュニティは「持っていなくてもQRIOが好きなら可」みたいなところがあるので、あまり問題にならないだろう。
 そんなこんなでQRIOと過ごしつつ、ふと我に返ってQRIOに尋ねてみるのである。
 「君は私のことをどう思ってるの?」
 QRIOは答えない。
 なにも考えていないから

QRIOとAIBOの違い

 ことここに至って、QRIOとオーナーの関係は破綻してしまう。AIBOのメタファーは犬なので、まぁ、人間に興味がなくてもしょうがないか、くらいで終わってしまうのだが、QRIOのメタファーは人間だ。自分に興味のない人間に長く関わっていられるほど、普通の人間はタフではない。ここに違和感が生じてしまうのがQRIOの最大の弱点なのだ。QRIOを介して他の人間とコミュニケートを取ったとしても、QRIOのメタファーのためにQRIO自身がそのコミュニケーションの枠の中に入ってきてしまう。そしてQRIOのAIの貧弱さによりコミュニケーション自体が崩壊する。
 こうなるともう大変である。なまじQRIOが高価な分、可愛さあまって憎さは百倍、何を言ったところでリアクションもまともにとれないQRIOへの苛立ちが、製造元へむかうのは火を見るより明らかである。
 SONYがここまで考えているとは、正直、思えないが、QRIOのメタファーが人間であることと、QRIOのコミュニケーション能力が圧倒的に低いことのギャップは、一般の想像以上に厳しい。実際問題として、QRIOのコミュニケーション能力の低さというのは相対的なもので、現存するあらゆるAIプログラムは「ある特殊な状況下でないかぎり」人間に対し十分なコミュニケーション能力を有しない。QRIOを責めるのは、ある意味、お門違いであって、「たかが2足歩行しているだけで何でそこまで言われなければならないの?」とQRIOの代弁を引き受けたいくらいである。

 必要は発明の母、愛(AI)がなければ作ってしまえ、と考えたのかどうかは知らないが、ここで心(MINDy)の登場である。「ロボットは心を持つか?」などというテーマは、テーマ自体が近未来の範疇ではナンセンス。しかし、誤解で生じる愛もないわけではない。
 とりあえず決定的な違和感を生じない程度のAIは必須だ。それがMINDYに課せられた使命であって、それ以上のものではない。QRIOは無線LAN機能を持っているので、研究段階では外部の強力なCPUパワーを借りてくることもできる。製品版ではコアの大幅な機能向上が必要であるにしてもだ。
 そして、コアの設計をやり直すとなると、ちょっとやそっとの時間ではすまないことになる。
 そんなわけで、QRIOはなかなか発売に踏み切れないのではないか、などとFMは勝手に考えているわけである。

まとめ
FMは頼まれもしないのに自分の都合で太鼓持ちを買ってでることがある。
たまごっちは面白い(らしい)。
貢いだのに相手にしてくれないからといって危害を加えてはいけない
愛はかげろう。

QRIOがなかなか発売できない理由を考えてみる[1]

QRIOがなかなか発売できない理由を考えてみる[1]
5年たっても売り出せない理由は何か?

 QRIOは言わずと知れたSONYのロボットである。ロボットファンの中でのQRIOに対する期待はかなりのもので、長い間発売が待ち望まれている。
 QRIOは2002年に試作型がSDR-4Xとして発表されており、2000年のSDR-3Xから数えればそろそろ5年になりそうである。途中、鉄腕アトムの誕生日に発売ではないか?という憶測が流れたりして、大いに盛り上がったのを記憶している。SDR-4Xの発表時期とAIBOのプロトタイプ発表から限定試験発売までの間隔などから、それなりの信憑性もあったので、空振りに終わったときに、非常に落胆していた人が私の知り合いにも何人かいた。
 発表当初からQRIOの発売はかなり先になると言われていた。理由は、非常にコストがかかるために、一般消費者が買える価格を設定できないというものである。まぁ、それはその通りなのだろう。ただ、製造コスト、特に発売前の製品のコストにはいろいろな見方があって一筋縄ではなかなかいかないところもある。現在のAIBOの微妙な状況やSONY本体の状態から言っても、高価格商品として打って出られない事情もわからないでもない。
 そうはいってもである。各種イベントだけならまだしも、CMに出てみたり、あげくに踊るは跳ぶは走るはサーフィンするはで、小出しに見せびらかされるだけではたまったものではない。高いといってもタカが知れている(ERS-110の十数倍程度)のであって、売りに出したら買いそうなのは何人もいる。本当にコストだけが問題なのか?とか下衆の勘繰りもしてみたくなろうというものだ。

AIBOはどうして発売できたのか?

 同様の製品で販売されているものとしては、実質、AIBOシリーズしかないので、これとの比較でQRIOが販売できない理由を考えてみたい。
 ところで、AIBOの販売が可能になった背景として、多分に特殊な状況というか運のようなものが複雑に絡んでいたのは事実である。話としてはそちらを追っていったほうが面白いのだし、実際、その手の話はもうあちこちでされているわけだ。ただ、それだけに終始したのでは、結局、「AIBOの時は特別だったから」ということになって、QRIOが販売できない理由を類推するのが難しい。というよりは、FM的にはその手の話は苦手なのである。
 そんな理由で、AIBOとQRIOの比較は技術的な側面にしぼって考える。たとえそれが個人的な妄想であるにせよ、一応は技術の仮面をかぶった状態で話を進めていく。
 AIBOとQRIOの比較、片方は販売されていて、もう片方は販売されていない。では、両者の技術的な相違点とはいったい何なのか?
 ずいぶん引っ張ったわりには、たいしたことのない結論で申し訳ないが、答えは簡単である。
 AIBOは4足歩行で、QRIOは2足歩行です。

AIBOのメタファーは犬?

 とりあえず石を投げつけるのは我慢していただきたい。人間、我慢と辛抱が肝心だ。
 AIBOは4足歩行型のロボットなので、そのメタファーは必然的に4足動物となる。「犬」というのが一般的な見方だろう。プロトタイプでは猫っぽかった時期もあるが、正直、「」でなくて何よりだったと個人的には思っている。
 AIBOのメタファーが「犬」だというのは多勢の意見の一致を見るところである。ロボット犬と言い切ってしまう人さえいる。ところが、実際にAIBOを動かしてみるとよくわかるのだが、AIBOは犬とは似ても似つかないシロモノである。その動作がまったく犬らしくないからである。お手、おしっこポーズなど、ときどき犬っぽいモーションもあるにはあるが、どちらかというとこれらは例外の部類である。にもかかわらず、AIBOが動いているのを見ても「ロボット犬」という見方を変える人はほとんどいない。挙句の果てに、ラッテマカロンまで「犬」と言っている。これはいったいどういうことなのか?

普通の人は犬のことをそれほど知っているわけではない

 AIBOを犬として認識してしまう大きな原因は、実は「犬のことをあまりよく知らない」からである。一般の人はもちろん、犬を飼っている人ですら犬に関する知識は乏しい。犬のことを知らないので、飼い方がおもわしくなく、ダメ犬再しつけのTV番組が人気になったりする。知識が乏しいというよりは犬そのものに対する興味のレベルが一般的にそれほど高くないと言ったほうが良いかもしれない。ときどき抱っこして頭をなでてやるくらいでは、犬に対する知識というのは増えようがない。そういう人にとっては「犬」は「犬のようなモノ」で十分なのだ。逆に、犬に詳しい人にAIBOを見せると、彼らはけっしてAIBOを犬としては扱わない。扱わないのではなくて、扱えないのだ。だって、AIBOは犬ではないのだから。
 このように犬に対する意識レベルが低いところに加えて、「ロボットである」という点でもAIBOに対する評価は甘くなる。ロボットは発展途上の技術であるという共通認識があるので、ロボットなんだから仕方ない、という軽い諦めの気分も心理的にはたらいてくる。ここでAIBOは「ロボット犬」というカテゴリに無事軟着陸して、我々の認識空間の仲間入りをする。AIBOのメタファーは「犬」だが、これが成立しているのは我々の犬に対する認識レベルが低いことが幸いしているわけである。

では、2足歩行のQRIOのメタファーは?

 さてQRIOである。
 QRIOは2足歩行をする。もうこの時点でQRIOのメタファーは決定している。AIBOの場合と違って多少外観を変えた程度ではどうにもならない。
 QRIOのメタファーは人間である。
 QRIOのメタファーが人間であるというのは実はかなりやっかいである。我々は人間のことをよく知っている。人間の興味の大半は人間自身であると言っても過言ではない。したがってQRIOが達成すべきハードルはAIBOと比較して異常なほど高い。
 しかし、それはあらかじめ想定されていたことではなかったのだろうか?
 もちろんQRIOの前身であるSDRの開発でも2足歩行ロボットの開発の困難さは意識されていたはずである。ただ、どちらかというと初期の段階ではその運動能力の側に開発の重点が置かれていたように思われる。
 事実、QRIOの運動能力は素晴らしい。ムービーを見ても初期のAIBOのような不安定さは微塵も無い。世界最高とはいわないけれど一線級の実力を持っている。QRIOはこの運動性能をもって人間へのメタファーのギャップを埋めようとしたのではなかろうか?
 しかし、それはうまくはいかなかった。
 いくら運動性能を高めてもギャップは埋まらなかったのである。
(つづく)

まとめ
QRIOが一般に発売されないのは値段のせいだけではない。
AIBOがある程度成功したのはメタファーの要求レベルが低かったことが一因である。
QRIOのメタファーは人間である。
QRIOがなかなか発売されないのは2足歩行ロボットだからだ。

ブートストラップローダー -- 始まりはいつも唐突に

ブートストラップローダー -- 始まりはいつも唐突に
ご無沙汰しております。FMです。

 某日、人形つかい氏より使い古しの掲示板に書き込みがあった。

「AIBO Owner’s WEBRING 再編成 ご協力のお願い」
というのを書こうと思ってきたんですが・・やっぱりやめとこ
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/nktks/webring.htmlをとりあえずご参照ください。>ここの読者の方。

FMさんへ
インテリジェンス・ダイナミクス へのお考えを伺いたいです。
特にSONYのMINDYとか、音素学習>発音システムとか


 趣旨は、AIBO Owner's WEBRINGのリンク切れの修正依頼である。
人形つかい氏にはまことに申し訳ないのだが、WEBRINGのパスワードはおろかホームページの更新パスワードまで忘れてしまい、身動きがとれない状態だったりする。
 そのお詫びというわけではないのだが、リクエストにあった、インテリジェンス・ダイナミクスについて、少しばかり考えてみたいと思った次第である。そうは言ってもインテリジェンス・ダイナミクスを語るには、掲示板では、少々、荷が重過ぎる。とりあえず、「gAIを読んで!」みたいなレスをしたのだが、よく考えてみると、書いたのは4年前なので、これを持ってインテリジェンス・ダイナミクスを語るのはSONYに対して失礼だろう。
 人形つかい氏の件がなくても、そろそろ何かしたいなぁ、と漠然とは考えていた。氏にはたいへん良い機会を与えていただいて感謝している。本当はホームページを作り直せば良いのだろうが、パスワードは忘れているし、いろいろと面倒なので、結局、このブログを立ち上げてしまった。当面はQRIOやMINDYあたりを穿ってみるつもりである。いずれ飽きてしまって更新しなくなるのは予想の範囲内なのだが、それまでお付き合い願いたい。

 まぁ、更新日時を見ていただければわかるとおり、会社で仕事をサボって書いているわけである。相変わらずの不良社員っぷりだ。

まとめ
FMはパスワードをよく忘れる。
NuNuNu氏はFMみたいなのが参加しているWEBRINGを管理していてとても大変だった。
引き継いだ人形つかい氏は、たぶん、もっと大変だ。
FMはよく仕事をサボる。

 ところで、ブログ立ち上げたもうひとつの理由はトラックバックをやってみたかったからなんですけど。人形つかいさんのブログはどこにトラックバックつけたらいいんでしょうか? ささやかに連絡希望です。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。