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コンピュータは人間のように考えられるか?[3]

コンピュータは人間のように考えられるか?[3]
エレガントな回答を求めて


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 数学の問題を解くのに、端から並べて全部解く、などというのは、いかにもブルートフォースなわけで、あまり評判は芳しくない。四色問題の証明に対して、いまだにしっくりこない一部の人々がいるというのも、心情としては理解できる。エレガントな回答を求める、というのは「数学セミナー」の読者にかぎらず、数学好きな人の一般的な傾向と言ってもいいだろう。
 ところが、この問題、心情としては理解できるが、数学的に扱うと、はなはだ痛し痒しだ。
 前回、取り上げたプログラムもどきは、ブルートフォースの典型で、これ以上はないというほど(いろんな意味)痛烈なものである。もっとエレガントな解が欲しいというのは言わば人情であって、チャーチ提唱の信望者であるFMにしたって、正直、多少の手間ですむのなら、もう少しマシなものを例に出したかったくらいである。
 しかし、これは、それほど単純な話ではない。「エレガントな回答」のようなメンタリティが持ち込めるほど、実は、数学という学問は人に優しいものではなかったのである。

玉石混合は「玉」も含む

 ほぼ無限大のメモリやほぼ無限大の処理能力とかいうトンデモ設定にはこのさい目をつむるとして、件のプログラムの出力結果を眺めてみることにしよう。答えの出ない命題はいくつかあるにしても、いくつかの興味深い定理は証明されているだろう。
 いや、この言い回しはあまりに不正確である。実際には、興味深い定理も、無視してしまいたくなるようなことがらも、否定的か、肯定的か、はたまた、それ以外の形で、すべて証明されているのである。
 具体的にどういうことかと言えば、我々の熱望している「エレガントな回答」すらその中にふくまれているということである。我々の欲しいものはすべてその中にあるのだが、欲しいものだけで構成されているのではない。一滴の甘露を濁った沼の中に落としたようなむなしさが、そこにはある。

良いとこ取りのプログラムは存在するか?

 これらすべてを踏まえたうえで、チャーチはこのプログラムが人間の(というか、少なくとも数学者の)思考パターンに酷似している、と、のたまったわけだ。
 数学の定理の証明や、新しい概念の導出というのは、試行錯誤の連続であって、そういった意味では、「端からすべて試してみる」というのは、きわめてまっとうな思考法と言える。ラマヌジャンの天賦の才もこの枠組みから逸脱するものではなかった、と彼の最上の理解者であるハーディも言っている。
 無駄なことはしたくない、誰だってそう思うのだが、無駄なものと無駄でないものをわけるアルゴリズムが存在しないことは、いまいましいことに既に証明ずみである。プログラムが停止するかどうか事前に知る方法はないのであって、答えが出る問題だけを重点的に解くことはできない。そして答えの出ない問題にぶちあたっているのか、解くのが非常に難しいだけで本当は解ける問題なのかは、問題を解いている間は知ることができない。
 人間であれコンピュータであれ、数学をする以上、効率的に解を求めることはできない。「数学に王道なし」というのは教訓でもなんでもなくて、単なる冷徹な事実なのである。

悠久の彼方からの帰還

 ほぼ無限大のメモリとほぼ無限大の計算能力、というのは言い方をかえれば、「無限に近い時間が経過した後で」という考え方とおなじである。
 無限に近い時間経過の後では、宇宙が寿命を終えていたり、エントロピーが極大値に達していたり、すべての素粒子が崩壊して光の海になっていたり、弥勒菩薩が降ってきたりと、とにかくいろんなことが起こる(らしい)。
 そんな大変な状況の中では、人間とコンピュータがごちゃまぜに扱われようがたいした問題ではないような気もする。我々の興味の対象は、ここ何十年かのうちにロボットが知的な会話をそつなくこなしたり、ワールドカップでロボットチームが優勝できるかどうか、などという、極めてせせこましい事象についてである。
 数学の問題は数学で解くべきであり、カエサルのものはカエサルに返すべきだ。当然、せせこましいことは、せせこましく解決しなければならない。
 理想ばかり唱えていても仕方がない、「あるもの」でなんとかすべきなのは判っている。そして、「あるもの」でなんとかする場合、「あるもの」の能力をフルに利用すべきであって、いらぬ制限は付け加えるべきではない。
 「あるもの」とはノイマン型コンピュータのことである。そして我々はノイマン型コンピュータに手枷足枷をはめたまでで使っている。その枷を取り払うことから始めねばならないだろう。
(つづくのだ)

まとめ
 世の中にうまい話というのはない。
 王道がないのは数学に限ったことではない。
 FMは小学生のころ、弥勒菩薩に似ていると言われたことがある。
 恐竜博2005に行ってきたので疲れた。もう寝る。
 
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