クレタ人の踵

AIならびにRobotに関する雑記。 世迷言など。

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ロボットは心を持つか?

ロボットは心を持つか?
心此処に在らざるの記


 この件について書こうと思った動機はさしたるものではない。
 どうも、ここの研究所の所長が、「ロボットが心を持つのはノイマン型コンピュータを使っている間は無理」と言ったらしいということを伝え聞いたからである。
 他人が何かを言ったからといって噛み付くのは大人気ない。
 大人気ないのだが、そもそもこのブログは他人がやっていることに噛み付いているだけである。
 いまさら、大人気ないとか、そんなことを言ってもしかたがない。
 で、FMがこの意見に賛同かというとそういうわけではない。
 かといって、反対か、と言われたら、FMだってまさかそこまで無定見なわけではない。
 じゃあ、どうでもいいのかというと、それなら、わざわざこんなものは書かない。
 なかなか難しい話である。伝聞によれば、これは、誰かの質問に答えたということである。
 だから、けっこうな数の人がこの問題(?)に興味を持っているのかな? とFM的には思ったわけである。
 ようは、そういうことだ。

ちょっと昔の話をしてみよう

 現代の常識から考えると信じられないことだが、中世ヨーロッパでは「女性に魂があるか?」ということについて喧々諤々の論議がなされたそうである。まったくもって信じがたいことだ。それからごく最近では「黒人に魂があるか?」について大騒ぎになった。
 過去の人間の愚かさについて語るというのは、史学的立場からアンフェアな感があるにしても、さすがに平等精神の発達した現代社会では、このようなことは許されるはずはない。
 西欧人だけに咎を求めるのは不公平である。禅の公案にも「犬に仏性はあるか?」などというものがあり、愛犬家や動物愛護団体からの抗議は必至であろう。

で、素晴らしい社会になったわけだが

 もちろん、現代ではこんな戯言はタブーである。女性も黒人も、いや人間だけではない、世界に生きとし生けるものすべては、皆、平等に魂を持っており、当然のことながら..........あれ?

 最近は、魂について大真面目に語られることは少なくなった。少なくとも科学者の間では。
 50年くらい前までは霊界ラジオとか、魂の重さ1/4オンスとかいう話はあったにしても、これを真面目にやろうという学者はだいぶ減った。
 理由についてはあまりよくわからない。人間の体の仕組みが解明されてきたということもあるだろう。昔、魂の居座とされていた心臓は、ただの血液循環ポンプであった。東洋では脾臓が珍重されたこともあったが、さすがに、今、脾臓に魂があるという人間はいない。脳(というか頭)というのも候補にあがったのだが、こちらは認識論者が先に押さえてしまったので、魂の宿る場所としては人気がなかった。
 人権や平等、世界平和についての社会的な共通認識が、この問題になんらかの影響を与えているかどうかについては定かではない。魂について各宗教間でなんらかの合意に達したのかどうかもFMにはわからない。
 ともかくも、「誰かが魂を持っているかどうか」について真剣に議論する必要は以前ほどなくなったのだと思う。

人間は心を持っているのか?

 ディベートというのは、とかく、口先だけで相手を丸め込む技術みたいな取られ方をされがちだが、立場を入れ替えて討論すると、問題の本質が見えてくる場合があって、あながち馬鹿にしたものでもない。
 で、「ロボットは心を持つか?」というテーマのすぐあとに「人間は心を持っているか?」というテーマで連続して同じ人間でディベートしてみたとする。このとき「人間は心を持つ」という立場で参加したとして、正直、FMは相手に勝つ自信がない。
 不思議なことだが、「ロボットは心を持たない」という前のテーマの論証のほとんどが、ちょっと手を入れるだけで人間にも使えてしまうのだ。思いあまって「生きているから心がある」などと言ってしまったら最後、既出の「魂の話」に還元されてしまう。この時点で、もうかなり分が悪いのである。

脳について少しずつ知識が増えてきている

 脳の問題で最近重要なのは、脳内代謝物質のバランスとその代謝異常について、少しずつわかってきたことだろう。少ないなら増やせばよい、多すぎたら抑制剤投下みたいな、まだまだ荒っぽい段階ではあるが、実際に治療がうまくいって快方に向う人も少なくない。とくに家族の喜びというのはひとしおらしい。だが、そんな中、治療を終えた方の配偶者の言葉にFMは耳をとめたことがある。

 以前とはくらべものになりません。暴れないし、ぶたないし、私の話もちゃんと聞いてくれる。この間、私がうたた寝していたら毛布をかけてくれました。ああ、この人、もともとはこんな優しい人だったんだと
(中略)
 夫婦ってこういうものなんだな、って初めて感じました。
(中略)
 もちろん、今が幸福なのは確かなんですけど、時々思うんです。このあいだまで私と暮らしていたあの人はどこに行ってしまったんだろう、って。


 正確には覚えていない、テレビだったと思うのだが、あるいは本か雑誌、ネットのコラムかもしれない、雰囲気的には、だいたいこんな感じだったと思う。薬物治療ですべての神経性疾患が治るわけではないが、ある種の症状が劇的に改善するのは確からしい。そういう時のまわりの人々の反応には喜びの中に一抹の戸惑いが見え隠れしている。

「心」を取り巻く現代の環境

 また魂の話に戻って恐縮だが、古代、病気というのは魂の穢れで起こると考えられていた。清い魂というのは道徳的な面ばかりではなく、病気にかからない、という実用面も備えていたわけだ。医学は進歩して、病気は魂とは関係なしに治癒するようになった。そういった状況で魂のことがあまり語られなくなるというのは自然なことなのかもしれない。
 現代日本人の7割がなんらかの心の病を患っているそうである(人によって100%とか言う人もいるがそういうのは統計とは言わない、まあ7割だってかなり怪しいものだが)。心の問題は現状で大問題なのであり、ロボットにまで飛び火してもさほど不思議ではないとさえ言える。
 では、この問題が解決したら?
 何でも科学がどうにかしてくれるという科学御都合主義を奉じるわけではないが、こういった疾患(と考えられるもの)が減れば、自ずと「心」に対する比重というのも小さくなってくるのではないかとFMは考えているのである。
 誤解されると困るのは、心の病がなくなれば心そのものがなくなる、とFMは言っているわけではない。心に起因する(と考えられるている)問題が少なくなれば、心そのものについて科学で語らなければならない必要はだいぶ減ってくるだろう、ということだ。

 そもそも、個人的な信条では、FMは人間にもロボットにも心はあると思っているし、それどころか魂だってあると思っている。サンタクロースも信じている。ただ、それらを科学論争の俎上に乗せる気はないというだけなのである。

無門関 第四一則 達磨安心

達磨面壁す。
二祖雪に立つ。臂を断って云く、「弟子は心未だ安からず。乞ふ、師安心せしめよ。」
磨云く、「心を将ち来たれ、汝が為に安んぜん。」
祖云く、「心を筧むるに了に不可得。」
磨云く、「汝が為に安心し竟んぬ。」


まとめ
 小さいころ、FMはサンタを信じてはいなかった。サンタはFMにプレゼントをくれなかったからだ。
 大人になったらウチにもサンタが来るようになったので、しかたなく信じることにした。
 サンタを信じるようになったのだが、いまだにFMはプレゼントをもらえない。少し寂しい。
 サンタの代わりに奥さんがプレゼントをくれるので、まあいいか、と思ってはいる。
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コメント

FMさんは魂って有ると思っておられるんですね。

私は、blogに書き進めていけば
そのうち分かると思いますが
魂のようなものは存在する可能性低いと思っています。

そもそも、魂って何なんでしょうね?

  • 2005/05/22(日) 23:50:09 |
  • URL |
  • SNAIL #EikH9OKM
  • [ 編集]

すねいるさん、いらっしゃい。

>FMさんは魂って有ると思っておられるんですね。

はい、ありますね。
もっとも、「赤い服(魂を信じる)と青い服(魂を信じない)は、どっちが好き?」と聞かれて、「赤い服」と答える程度の感じですけど。それほど気合が入ってるわけではないです。

>そもそも、魂って何なんでしょうね?

普通に魂かな、と思ってますが駄目でしょうか(笑)。

いちおう、書けたので、トラックバックさせていただきました。よろしくお願いします。

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